親子で勘違いをしてスタートするから難航する
長男のトイレトレーニングは2歳すぎてからはじめましたが、とても難航しました。まず、言葉をはっきり話せるため、意思疎通ができるので、言ったことは何でも理解しているとこちら側も思うので、言ったことがきちんとできないと、私もイライラしてしまったのです。
例えば
「今日はトイレで練習してみようね。したくなったら教えてね」
長男は必ず、
「うん!わかった!」と言います。
しかし、ずっと待っていても、長男の方からトイレに行きたい!という言葉は発してくれません。こちらもだんだん心配になって、
「大丈夫?トイレ行く?」と聞くのですが、
「行かない!」の一点張りです。
つまり、それまでずっと2年間も、オムツの中で排泄を繰り返してきた子ども側からしてみると、急にトイレが登場しても、何のことを言っているのか理解不能、なぜトイレに行かないといけないのかが不明、というわけなのです。
このやりとりには親子でかなりの認識の違いがあります。全然言っていることがかみ合っていないのです。今の例でいいますと、母親である私自身はこう思っています。
・言葉が通じるのだから、私の言うことも理解しているはず
・言ったことは、きちんとできるはず
・2歳過ぎてはじめたのだから、やり方に間違いはないはず
・トイレでするほうが、おむつより楽なはず
一方、子どもの方はこう思っているはずです。
・ママにトイレのことを言われたけど、何をするところかよくわからない
・遊ぶ方が楽しいのに、なんでわざわざトイレに行かないといけないのかわからない
・とりあえず、元気に返事をするとママが笑顔になるから、大丈夫なはず!
はい、この認識違いでは、双方何もかみあっていません。それぞれに別のことを感じて、言葉にしています。2歳になるまで何もしない状態で、いきなりトイレのことを教えようとして、どんなに頑張ってみても、前提が違いすぎるので、その間が埋まることはありません。まずは、その認識の違いを埋めることから始めないとなりません。
なぜ、ここまで開きが出てしまうのか。その解決の糸口は、排泄に関する認識不足にあります。
オムツをずっとつけ続けてきたということは、おむつの中で排泄する、ということを何回も何回も練習していることと同じです。
膀胱の不快感
↓
排泄後のすっきりとした快感
↓
(おむつが吸収するから)漏れない!
↓
おむつに排泄しても大丈夫だ!
ということを日々学んでいます。
体感覚で考えてみますと、おむつ独特の締め付け感を感じながら、その中で排泄をする、ということを学んでいることになります。
一方、おまるで排泄することを学んだ子どもはこうなります。
膀胱の不快感
↓
おむつをはずして、スースーする体感覚でおまるに座る
↓
排泄後のすっきりとした快感
↓
排泄物を見て、事実確認
↓
おまるで排泄すると汚物が肌につかなくて、気持ちが良い!!
ということを学んでいきます。
スタート地点でこれほどまでに差が出てしまうため、プレトイレトレーニングをすると、後が楽なのです。